2016年5月29日日曜日

小学校でのプログラミング教育必修化に反対

常日頃から思っていた。
「プログラマになりたいってのなら、小学生から勉強しやがれ」と、
しかしね、全員に必修てのはあり得ないと思うのだ。


====1.プログラムを勉強するとはどういうことか====

1.プログラムを書くには文章力が必要である。
2.文章を書くには論理的思考が欠かせない。
3.文章が書けても小説が書けるわけではないのと同じで、
  プログラムが書けてもプログラミングできるわけではない。
4.言語がいくらでも増えていくため、
  覚えた言語が使われなくなることは避けられない。

 1から3で、
「プログラムを勉強する前に素直に論理学を必修化しましょう」

4から、
「プログラムから勉強するのは無駄」 となる。

これで終わってもいいんだけど、
最近「頼むからプログラムを勉強しないでくれ」という論説も見るので、
それに倣って続けて考察してみる。



====2.プログラマの人間像====

ここからはプログラムを勉強した結果出来上がる人間像について考察する。

1.現在はマネージャーである。
2.現在もプログラマをしているが○○専門で✖✖等は分からない。
3.現在はなんでもできるスーパープログラマである。
4.承認欲求が強い。
5.わりと給料が安い

1から5まではAND結合ではない。
人間像を作り出すための、ピースである。
こんなもんだろうが、このピースからなる人間像が問題である。

1 AND 4からなる人間像は、たちが悪い。
「プログラマを続けられなくなった」=「論理的思考ができない」タイプが多いのだが、
自分はプログラマの気持ちが分かると勘違いをし、
無駄なプライドがあり、マネージメントを形だけでしか経験していないので、
無茶はスケジュールだけ組んで、何も準備をせず結局大失敗をする。
プログラマの敵であり、マネージャーでさえない。
プログラムをかじってもマネージメントができるようにはならないのだ。
結局彼は
「ただの勘違い野郎」である
この勘違い野郎は自分の記憶も改ざんする。
その結果、
「ああプログラム?あんなん簡単ですよ誰でも出来ますよ」と吹聴するのである。
こういうくだらない発言をくれぐれも信じないように!

2 AND 4からなる人間像は、いずれ仕事がなくなり、
新しいことが覚えられなくなるもプライドが高く現実と乖離することで
「鬱病患者」になる

 3は4ではない。
なんでもできる人間は承認される必要がない。
しかし、「なんでもできる」に近い人はいるが、
「本当になんでもできる」人はそんなに多くはいないだろう。
「なんでもできる」に近い人がいたとしよう、
しかしその人が他人に対しても「なんでもできるようになれ」と強要する場合、
それは「なんでもできる人」ではない。
本当に「なんでもできる人」は自分が「特別」であることを知っている。
だから他人に同じことをやれとは言わない。
そして結局自分が全部やることになり、「一人生産工場」の限界に達する。
その結果、
「社長」になる(ならざるを得なかった。なるべくして成った数少ない人である。)

5についても書いておこう。
「プログラムできても給料が安い」
それでもプログラマになりたいのか?
プログラムを勉強したいのか?
はなはだ疑問である。


====3.まとめ ====
そもそも「プログラムを勉強する」目的はなんだろう?
日本での事情や目論見も踏まえて目的から考え直そう。


1.論理的な思考をできるようになる
2.プログラマが足りないから増やしたい。
3.革新的ソフトウェアの開発ができる人材を増やしたい。
4.プログラマ出身の社長は優秀なので、プログラムを勉強させたい。

1のためには「プログラム」というのは良さそうな道具に見える。
しかし、実際には
「プログラムを勉強しても、論理的思考は手に入らない」

2のためだとすると
「大量の不幸な人が発生する」

3のためだとするとかなり勘違いである。 
「革新的ソフトを作るのはプログラマの仕事ではない」

4 のためだとするとかなり安易であり、間違っている。
彼らはプログラマ出身者だから優秀なのではない。
彼らは元々論理的思考に秀で、行動力があり、
夢を具現化する方法論を模索し続けた人々だ。
卵が先か鶏が先かということであり、
「プログラムを勉強したから社長になったわけではない。」


1から4までの目的はプログラムを勉強することで満たせない。
それどころか、「ただの勘違い野郎」「鬱病患者」そして、
「プログラムできても給料が安い」人を増やことになる。

3になるひとは、数少ない「社長」であり、
そうなる人は「プログラムを勉強したから社長になったわけではない」
そうなる人は素養として論理的であり、経営者向きであり、
これは「勉強して身につく物ではないのだ」

以上から「頼むから(誰彼構わず)プログラムを勉強させないでくれ」
言い直すなら「小学校でのプログラミング教育必修化に反対」である。

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